昭和36年6月11日生まれ生まれは山形県米沢市 学生時代は神奈川県で過ごす家族:妻と長男趣味:少年野球の指導最終学歴:立教大学理学部化学科卒業
【職 歴】昭和61年 小野薬品工業入社 仙台支店配属平成 2年 小野薬品工業を退社 教員免許取得のため立教大学聴講生平成 4年 一戸中学校教諭として採用(理科) 平成 7年 軽米中学校教諭平成 9年 晴山中学校教諭平成15年 二戸市立福岡中学校教諭 (平成18年度、野球部監督として全国中学校軟式野球大会優勝。皆様の熱い応援に感謝申し上げます。)平成20年 久慈・三崎中学校副校長平成23年 小軽米中学校副校長平成26年 一戸中学校副校長平成27年 奥州・木細工小学校校長平成31年 戸田小学校校長令和 2年 二戸市立中央小学校校長 令和 4年 60歳定年を迎える 軽米中学校教諭(再任用)令和 5年 二戸市議会選挙にて初当選
30歳で民間企業から教員に転職。子どもたち一人一人が持っている無限の可能性を見ることができる仕事は魅力的で31年間夢中で勤めてまいりました。中でも、最も印象に残っているのは、平成18年、福岡中学校野球部監督としてすばらしい選手たちとともに全国中学校軟式野球大会優勝できたことです。市民の皆様のご声援を受けての報告会やパレードで一緒に喜びを分かち合えたことは一生の宝であり、今でも脳裏にはっきりと焼き付いています。その時から私は、すばらしい経験をさせてくれた生徒たち、応援してくださった市民の皆様に何か恩返しをしたいという思いを抱いてまいりました。
教育活動で様々な制限をしなければなりませんでした。会話や行事の制限、マスクで顔を見ることができないなどです。教員は感染対策で多忙となり、子供と向き合う十分な時間がとれなくなりました。話し合いを取り入れた授業もできませんでした。アクリルのパーテーションがあれば会話や話し合いをできるのですが、購入予算がなく断念。教員のサポート「緊急スクールサポートスタッフ」が配置されたこともありましたが、県の予算が尽きると解雇となりました。
「予算が十分にあったら子供たちはもっと楽しく学校に来られただろうに。より良い教育を受けられただろうに。」歯がゆい思いが残りました。市の予算は市長と市議会で決めていきますが、二戸市議会には学校現場の様子やニーズを分かっている人がいません。私はこの現状を目の当たりにした時、学校や子供たちに必要なことを訴え、助けてあげられるような人が絶対に必要であると考えました。これが、私が政治活動を始めたきっかけです。
学校との連携を第一に考え行動します
タクシー補助券の支給も検討
高齢者世帯とご家族を笑顔に
企業誘致と若手経営者の育成
空き家を利用し宅地の確保や公営住宅の整備
高等学校へ給食の導入と給食費の早期無償化
漆関連の商品の増大と二戸旅行券の出品
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